2004/11/28
2004/11/25
1000-1500
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2004/11/02
本日のお題
東北楽天野球団
ライブドアもがんばったのに、、、。野球ファンでもなんでもない自分は、どっちでもいいんだが、こういった新しい世代によって作られる野球が日本経済に渇を入れてくれればと願いながら、僕はジャンベを叩く。
「俺たちゃハダカがユニフォーム」
カッカカッカッカ、カッカカカ。
ごどぱたごどぱた、ぐんどぅんごどぱたごど
ぐんどぅんごどぱたごど、ぱたぱたぐんどぅんごどぱたぱた。
x4回
カッカカッカッカ、カッカカカ。
という感じである。
; )
今夜は焼肉
うーーん。牛を食べる。その後、9時ごろからJAZZのセッション。とあるバーで、僕はジャンベを持っていって、参加する。っていうか、ジャンベ+ジャズはむずかしい・・・と、心の中で葛藤してしまう。日々精進。いろんな音とまぜて行きたい。しかし、ジャズ界の諸先輩方はこのジャンベという楽器をいかに思われているのだろう。一般的に、「ジャズではこの楽器」みたいな固定観念が有る。それは、ジャズを演奏する場合、ジャグバンドのようにそのへんのゴミや生活用品で楽器をつくって演奏していたビンボー音楽から、楽器を与えられていろんな音を生み出す状況を与えられた支配下にあったミュージシャンの音楽への愛と情熱、探究心が、後に裕福なミュージシャンが生まれるまで続き、そして、そのジャズが「マニュアル化」されていった歴史にあり、それをマニュアルどおりに演奏することが「正当な」そして「アカデミック」な音楽の追求と考えられるのが当然となったからであろう。
現在の音楽シーンは、前衛芸術の時代である。しかし、この前衛も近代アートでは、絵画で言えば、有名なダリやピカソのような手法を用いた芸術家がとうのむかしに実験的にやってしまったことである。歴史は繰り返すというが、そう考えてみても、正統派と非正統派のぶつかり合いはむなしい。なぜなら芸術は爆発であるべきで、美しい芸術は美しいだけで、汚いものも汚いだけで、それらを打破し、ダダイズム、いや、シュールレアリズム、いや、そういった「イズム」という観念すら、むなしいように思われる。では、いかに現代音楽を表現するかと考えると、そこには人間の根底を流れる音をいかに個々のミュージシャンが表現できるかということに行き当たるような気がする。そう回想したら、僕は自分の生きてきた道で、ジャンベに引っかかってこけたんだと思う。そしてその足に引っかかって絡みついたジャンベが僕の体の中に寄生してしまった。それがギターでもピアノでも、なんでもいいのである。その人生で出会って、やたらと気になる存在になってしまった楽器を個々が演奏することで、自分の言葉でいえない部分を表現するンだろう。
;-)
ジャンベ
96年、僕はパリの音楽集団といっしょに暮らした。毎晩の度重なるライブとパーティーの参加で、僕はDJとミュージシャンの仲良い関係に感動した。ある夜、有名なフレンチラッパーがラガなマフィンをいてこましていた。そのとき、ジャンベを持ったセネガルの人がいた。彼はDJの演奏にあわせて延々、ジャンベを叩いた。2時間ほどだろうか。そして、リスペクト、DJは名前を聞き、彼をヒーローにした。DJ、ジャンベ奏者、オーディエンスが一体となった。翌朝、ラジオを聴いたら、そのDJがゲスト出演していた。そのときの状況をすばらしくいい感じで説明してた。
心は一つになると、素晴らしくいいものになる。でも、ばらばらになると、それはもう、おぞましいことになる。
マイナスもプラスにする努力があれば、マイナスが出すぎたプラスを中性化する作用に変えれば、すべてはうまくいくんだろうなと思った。
:o)
余談ですが・・・
僕は96年、パリでバンドを作っていろんな音を出した。そしてある日、ベナン出身のバンドメンバーを通してジャンベに出会った。そのときは「フランスではジャンベという楽器はフランス人が全員知っている楽器」という印象だった。97年友人とパリ、ボルドーに遊びに行って、マリのジャンベをパリのクルニャンクールの露天商から買った。でも日本へ送ってくれと頼んだにもかかわらず、日本には到着しなかった。これに関して、若干の僕自身の問題もあったから、今となってはあきらめている。
2003年も2週間フランスに滞在した。そのときはパリに1週間、ボルドーに1週間だった。ボルドーとパリのメトロ駅「ピガール」近辺で、ジャンベを売っている店と商談した。でも、今、日本に住んでいてそこから商品を仕入れようとか、まったく思わないのはなぜなんだろう。僕はジャンベが好きだ。でも、そのアフリカのジャンベを日本に輸入することに抵抗が有る。なんなんだ、この不可思議な感情は・・・・。
とにかく、僕がパリで出会った人間の日本の印象はすべていいものだった。空手と商売が強いと言われた。そして、マンガ。古い映画の1コマ1コマが絵になるといわれた。
日本はアートとしてとらえているフランス人が多かった。
アフリカ大陸とフランス。この関係はすごく深いつながりである。パリの道を歩いていると1割以上がラテン民族以外なんだと思う。タクシーにのっても、地下鉄に乗っても。アメリカと似ているといえば似ている。アジア人、アジアティークは沢山いるし、カビール人、ベルベル人もたくさんいる。そういったマルチカルチャーにとにかく強く印象をあたえられた。
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